続100名城スタンプラリー・休館日の対応について

新府城のこと
04 /16 2023
続100名城スタンプラリー【新府城】の押印済み用紙の配布についてお知らせいたします。
新型コロナウイルス感染症対策のため一時撤去しておりましたが、下記日程より配布を再開いたします。

2023年4月17日(月)より配布再開
※休館日・開館時間外のみ設置


当館は続100名城スタンプラリー【新府城】のスタンプ設置施設となっておりますが、破損・盗難防止の観点から館内に固定設置しているため、休館日・開館時間外には押印することができません。
休館日等にお越しいただいた場合は、スタンプ押印済み用紙のご利用をご検討ください。
冊子に直接押印いただけず大変申し訳ありませんが、ご理解とご協力の程よろしくお願いいたします。

休館日・開館時間外には、当館所蔵の後田遺跡の仮面土偶・ウーラちゃんが描かれているシャッター前に設置してあります。(天候等で写真の箇所より若干ズレるかもしれません)
DSC_7857.jpg

缶の中に入っています。
DSC_7851.jpg

フタを開けて1枚取り出してお持ち帰りください。
DSC_7854.jpg
その際、フタの閉め忘れがないようにご注意ください。
雨水に濡れたり、風で飛ばされないように缶の中に入っています…!

後からいらっしゃる利用者様へのご配慮をよろしくお願いいたします!

≪参考≫
韮崎市民俗資料館 続日本100名城スタンプ【新府城】の休館日及び開館時間外の取扱いについて(韮崎市HP)

続100名城スタンプラリー【新府城】 設置中

新府城のこと
04 /29 2018
2018年4月6日より「続100名城スタンプラリー 」(主催:財団法人日本城郭協会)がスタートしました!当館では127番「新府城」スタンプを設置しています!

  ⇒続100名城スタンプラリーとは?

資料館入口から入りまして左手、事務室受付にスタンプ設置中です!
「新府城」スタンプは新府城跡にはなく、当館にのみ設置しています。

なお、館内に設置しているため、休館日・時間外には押印することができません。大変申し訳ありませんが、開館時間内にお越しくださいますようお願いいたします。

※木曜日、祝日の前後、ゴールデンウィーク前後、年末年始は通常と開館日・休館日が異なります。事前に開館の有無をお問い合わせいただくか、休館日情報を必ずご確認ください。


【要確認】
 ▼開館時間・休館日について
 ▼近日の休館日情報

「続日本百名城」認定証を飾りました

新府城のこと
06 /24 2017
平成29年4月6日(「城の日」です!)、わが韮崎市の「新府城跡」が“続日本百名城“に選ばれました。
新聞やテレビなどでも報道されましたので、ご存知の方も多いかと思います。

続百名城認定証(ブログ用)

“続日本百名城”は、財団設立50周年を迎える公益財団法人「日本城郭協会」様の記念事業の一環として、公募・選定が行われました。
2006年に40周年記念事業として「日本百名城」を選定したことに続く事業です。
全国から推薦によって候補を集め、専門家の方々の精査によって“続百名城”が選ばれました。

「続日本百名城」一覧は下記リンクからご覧になれます。
(日本城郭協会ホームページ)
http://jokaku.jp/2017/04/06/next-top-100-castles-announced/

北は北海道から南は沖縄まで、時代も8世紀の秋田城(秋田県)から幕末の品川砲台(東京都)までバラエティに富んでいます。

今年の大河ドラマ「おんな城主直虎」ゆかりの徳川家康の「浜松城」(静岡県)も入りましたし、
昨年の「真田丸」のゆかりの「岩櫃城」「沼田城」「名胡桃城」(すべて群馬県)は三つそろいぶみです(すごい!)。

ここ山梨県からは、新府城(韮崎市)と要害山城(甲府市)が選ばれました。
前回の「日本百名城」では、躑躅が崎館と甲府城(ともに甲府市)が選ばれていますので、続編を合わせて山梨県からは四か所が認定されたことになります。

要害山城は、武田信玄の父・信虎が築いた山城で、平時居住する躑躅が崎館に対して、詰城(戦のときなどの最終拠点となる城)となる役割を持っていました。

そしてわが新府城は、武田信玄の四男にして後継者である勝頼が、武田家の新たな拠点とすべく1581年に築いた城です。
広大な武田家領国(北は新潟県、東は群馬県、南は静岡県の駿河湾、西は岐阜・愛知県まで及ぶ)を治めるべく、防御と交通の利便性の双方を兼ね備えた韮崎の七里岩台地上に築きました。

織田軍の侵攻を前に、勝頼自ら火をかけて落ち延びた悲劇の城というイメージですが、実際に訪れると西側の切り立った崖、北側の湿地を利用した堀、武田流築城術の象徴「丸馬出し」と「三日月堀」など、悲劇だけではない力強さも感じられるのではないかと思います。

先日、日本城郭協会さまより立派な認定証が韮崎市に届きました。
民俗資料館の新府城の模型のとなりに飾らせていただきました。

続百名城認定証コーナー(ブログ用)

全国にあまたある城・城跡の中から新府城を選んでいただけたことは、光栄な限りです。
韮崎市の誇りがまたひとつ増えました!

※なお、「続日本百名城」のスタンプラリーはまだ始まっておりません
  記念スタンプもまだ頂いてはおりません。
  スタンプラリーが開始される時が来ましたら、また改めてお知らせいたします。

2018年4月6日(金)から設置開始しております!どしどしご来館ください!
休館日・時間外には押印できません!!!ご注意ください!

⇒休館日情報

11月21日(月)は「てててtv」で新府城を探訪!

新府城のこと
11 /12 2016
11月21日(月)午後3時50分から、YBSテレビ「てててtv」にて新府城跡が紹介されます。

山梨放送 YBSテレビ
 
「てててtv」 “やまなし秋の歴史散歩”

11月21日(月) 午後3時50分〜4時53分


大坂冬の陣に際して真田幸村(信繁)が築いた出城=“真田丸”の原点とも言われる「丸馬出し」を探訪します。
「丸馬出し」とは、城の出入口の前に築かれた半円形の土塁のことで、その下には土塁に沿う形の空堀「三日月堀」を伴います。

ててて

丸馬出しと三日月堀は武田氏の城郭に見られる特徴的な築城法です。
兵や馬の出入りを外から見えにくくするとともに、三日月堀で正面からの敵の侵入を防ぎ、左右からやってくる敵に対して半円形の土塁から迎撃する仕組みです。

丸馬出しと三日月堀を知るうえで欠かせない場所として、「てててtv」では和泉アナウンサーが甲府市の武田神社と韮崎市の新府城跡を訪ねます。

意外と知られていないかもしれませんが、武田神社=武田信玄が住んでいたつつじが崎の館の正面入り口(大手口)は東側なのです。(今の武田神社の正面入り口は南側ですが)
そして、武田神社の東側からは三日月堀の遺構が発掘されています。館の正面入り口を守る防御施設です。
説明看板もしっかり整備されていますので、武田神社に行った際はぜひお見逃しなく(参道の途中を右に曲がると三日月堀の跡へ行けます)。

一方、新府城跡では、城の南側に位置した大手口の前に、現在でも丸馬出しと三日月堀が残っています。

藤武神社の急な石段よりも南側(石段に向かって左側の方)に、新府城の本丸跡へのぼる道があります。
入り口には車止めの鎖がしてあり、車は管理や工事用の許可車両しか通行できませんが、人が歩いて通ることは出来ます。
下のマップの赤い丸で囲ったところが車止めの位置です。
車止めの位置

車止めの脇から徒歩で入り、のぼってしばらくすると、左手に「南大手門」という看板がありますが、ここからは丸馬出しに行くことは出来ません。

「南大手門」の看板を通り過ぎ、さらにのぼっていくと、右手に「東三の丸」という看板があります。
「東三の丸」の看板を過ぎたすぐ左側のところが平らに開けており、左右に土塁があります。
この土塁が大手桝形(城の正面入り口)の土塁です。
大手桝形を通り抜けた先に丸馬出しがあるので、まずは大手桝形に向かいましょう。
東三の丸の看板を過ぎて左側

「東三の丸」の看板を過ぎたすぐ左手は、こんな風に平らに開けています。
左右に見える小高い部分が大手桝形の内側の土塁です。
土塁の切れ目から「桝形」という四角い空間に入り、そこを通り抜けると「丸馬出し」があります。
(城の中から外に出る道順をたどっていると思って下さい)
大手桝形から丸馬出しへ

大手桝形を抜けると視界が開け、足元を見ると、自分が半円形の土手の上に立っていることが分かるはずです。
これが「丸馬出し」です。
弧を描く丸馬出し

丸馬出しから下を見ると、弧を描く土塁に沿ってくぼみがあるのが分かります。
(下を見ようとして、斜面に落ちないようにくれぐれもお気を付けください!)
このくぼみが三日月堀です。
丸馬出しの下には三日月堀
丸馬出しの下には三日月堀2

丸馬出しと三日月堀の高低差は20m以上あります。
下の写真は、丸馬出しから下りて三日月堀と同じ高さに立って見たところです。
三日月堀 西側から
三日月堀 東側から

新府城の解説パンフレット「親子で歩く新府城」は下記リンクからダウンロードできますのでご参照ください。
http://www.city.nirasaki.lg.jp/docs/2016021800022/

新府城跡を歩きました③ ~ふるさと歴史再発見ウォーク~

新府城のこと
05 /08 2016
前回までは、乾門→帯郭→丸馬出しまでの行程をたどってきました。
ここからは、いよいよ城の正面入り口である大手から本丸を目指します。

新府城跡お散歩マップと解説パンフレット「親子で歩く新府城」は下記からダウンロードできます。
http://niramin01.blog43.fc2.com/blog-entry-515.html

今回のウォークで歩いたコース。青が本丸までの往路、赤が本丸からの復路です。
お散歩マップでのルート

想定復元図で往路を示すとこんな感じ。
想定復元図でのルート

さて、前回で到達した丸馬出しから後ろを振り返ると、そこには大手桝形虎口があります。
振り返ると大手

ここが、新府城の正面玄関です。
西北の乾門の桝形虎口と比べて土塁の規模が大きいことが分かります。
大手桝形

土塁の低くなっている部分が出入り口です。乾門と同じく内側と外側で位置がずれている喰違虎口になっています。
なお、乾門からは柱穴や礎石が見つかりましたが、大手からは見つからなかったそうです。門があったのかなかったのか?新府城については謎も多いのです。

では、新府城に入ることを許された客人の気分になって、大手から堂々と入ってみましょう。
切れ目が大手門の跡

大手の入り口の近くにはジュウニヒトエという花が咲いていましたよ。
花が重なって咲く様子を十二単にたとえたとか…花の名づけ方って本当に風流ですね。
ジュウニヒトエ

大手の桝形虎口を出てまっすぐ進むと、先ほどの砂利式の車道と合流します。
ここからは砂利道を通って本丸を目指します。
砂利道に合流

しばらく進むと道はゆるやかに右にカーブしていきます。
このカーブの上、砂利道より一段高い平坦面が三の丸跡です。
三の丸は土塁で東西に区切られています。
東西三の丸

ちなみに、三の丸の土台には雨が降った時に地下に排水をするための穴が開けられていたそうです。
排水の穴

西三の丸からさらに進むと、二の丸の前に築かれた土塁(馬出し)の跡があります。
砂利道の左右が高くなっていて、土塁の跡だということが分かります。砂利道は土塁を切り開く形で作られているのです。
二の丸手前馬出し付近

私たちは大手からこの砂利道を上がって簡単に本丸へ行くことが出来ますが、本来は別のルートだったはずです。
三の丸と二の丸の中を通って本丸へ行ったのかとも考えられますが、明確には分からないそうです。

馬出しからさらに進むと、左手に二の丸(本丸の西側で一段低い場所にある郭。勝頼の夫人か息子が住んでいた?)があります。
二の丸の入り口の門は、砂利道より高い場所にあったと考えられています。
二の丸の門

二の丸の脇を通り過ぎると、ついに本丸に到着です!
今は平坦な野原と林ですが、築城当時はここに甲府のつつじが崎の館(武田信虎・信玄・勝頼の三代にわたる政治の拠点。今の武田神社の場所にあった)に倣った建物群があったと想像してください。
本丸に着いた

本丸跡には藤武神社の社殿が鎮座し、「真田丸」のロケ地の旗もたくさんひるがえっています。
真田丸の旗

本丸に着いたら、ぜひ北側の端に行って八ヶ岳を眺めてください。
長篠合戦戦没将士の碑という巨大な石碑の左手に、眺望の開けた場所があります。
「真田丸」第一話で真田信繁と兄・信幸が八ヶ岳と新府城下を眺めて武田家の行く末を憂う…というシーンはここで撮影されました。
八ヶ岳を見よう

真田兄弟の気分になって、こんな風に立ってみると…
こんな風に立って見ると

目の前に八ヶ岳が眺められます!
本丸からの八ヶ岳

本丸で一休みしたあとは帰り道です。
帰りはルートを変えて、本丸→二の丸→井戸跡→乾門へと下ります。
本丸から砂利の車道をを引き返し、二の丸の看板まで来たら、今度は二の丸の中を通って行きます。
二の丸

二の丸の中を通り過ぎると下り坂になり、左手にすり鉢状の窪地が見えてきます。
これは井戸の跡です。雨水や山の斜面から浸みだしてきたきた水を「漏斗」上に溜める構造をしています。
発掘では4m掘っても底が現れませんでした。
井戸の解説板

整備直後の井戸跡の様子
整備後の井戸跡

井戸跡を過ぎると道が平坦になり、乾門跡へ至ります。
井戸から乾門へ

これで新府城跡を一周してきたことになります!時刻は11時55分になっていました。たいへんお疲れさまでした!
再び乾門へ戻って来た

次回の「ふるさと再発見ウォーク」は、6月11日(土) 9時~15時に穴山を歩く予定です。
お申し込み・お問い合わせは、韮崎市中央公民館 0551-20-1115 へお願いいたします。